彼方からの幻視 私は いつも人形というモノについて考えていた。 私の中でうごめく 気配のようなもの・・・・・・・・。 それを知りたくて、 闇を飛び交うテレパシィの粒子を捕まえてみたり、 果ての無い 荒涼とした、無限の精神世界を彷徨う魂を集めてみたりした。 あまりにも 人形というモノにこだわったので、 まるでカルトな宗教のように、私の中にその世界が存在してしまった。 狂気に満ちた 激情に怯えるほどのインパクトに満ちた世界が実は好きだ。 そういう衝動と反比例するように、 私と、私の中の人形は いつも静寂のなかにいる・・・・・。 私はいつでも 人形から教えられてきたような気がしている。 そして おそらく真理を知りたかった。 ミエナイナニカと交信する術は無いのだろうか? 最近 あるひとつの方法に気が付いた。 なんだ 単純な事じゃ無いか? その方法は、透明で純粋な魂を見つけること。 そして、自分自身を偽らない ということを知る事だった。 そんな事など、とっくに 人形達が啓蒙しているらしい。 いや、啓蒙というのでは無く、その存在の 意味と、 魂の波動のベクトルを決定してゆく 作業をするモノは、 人間と人形との出逢い そのものなのかも知れない。 そして、人形達は独り歩きをしてゆく・・・・・。 美の境地を 求める事は、エキサイティングな事だ。 心の波動を揺さぶり続けられるからこそ、 魂に“美”の存在は不可欠なのではないだろうか? 創作の過程のなかで、自分の手を通して ナニモノかに人形を創らされている気分がある。 そういう時は、ちょっとトランス状態だったりする。 気に入った顔が出来た・・・そういう時は、 きっと眼付きが 怪しくなっている時だ。 もしかして、忘我の境地というのが、その極意なのかも知れない。 気付かずして そこに存在する意識であったりする。 それが 人形というモノの凄いところと言えるのかも知れない。 作らずして、創る。 ・・・・・そういう事を最近は感じている。